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Sarah-Gem Blog
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熊本市でジュエリーサロンショップ「セーラ・ジェム」を経営する伊藤和のブログです。

by sarah-gem
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About Me
熊本市在住
≪Gemology≫
1976年、宝石の仕事に初めて携わる。
1978年、国内鑑定所で資格取得。
1983年、GIA(米国宝石学会)にて Graduate Gemologist資格取得。
1986年、独立してセーラ・ジェム開業。
≪Ecology≫
ジュエリービジネスを始めて、宝石が自然の賜であり、環境保護がいかに大事であるかを痛感。ボランティアでエコロジー活動に取り組み始めた。
≪Ufology≫
1962年、高校2年の時、ジョージ・アダムスキーの「空飛ぶ円盤同乗記」を読み感動。UFOに関心を持ち始める。その10年後、UFOを目撃体験。以後、UFO研究をライフワークとする。
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ヘルマン・ヘッセ『車輪の下』(臨川書店)の訳者による紀行文(1994年)その2 
  『欧州における旅と思索』          文学部人文学科3年 伊藤 貴雄
  第2節 ミュンヘンの「白バラ」
ヘルマン・ヘッセ『車輪の下』(臨川書店)の訳者による紀行文(1994年)その2 _a0063658_18101649.jpg


 九月半ばにミュンヘンに三日ほど滞在した。二日目の朝は雨だったが、午後にはからり
と晴れ、青空が広がった。私にはどうしても訪れたいところがあり、ピナコテーク美術館
と美しいイギリス庭園を散策した後、徒歩でその場所へ向った。ミュンヘン大学である。
 なぜミュンヘン大学なのかというと、そこに「ショル兄妹広場」と「フーバー教授広場」
という二つの広場があることを、本で読んで知っていたからである。ショル兄妹とフーバー
教授ーー言うまでもなく、ナチス時代に学生抵抗運動を起こした「白バラ」グループの
メンバーの名前である。日本では「白バラは散らず」(未来社版)という題の本が出版され
ているので、読まれた方も多いと思う。
 その二つの広場を探すのに、はじめはかなり手間取った。ここでもない、あそこでもな
いと歩きながら、何か目印になるものはないかと目をこらした。大学はルートヴィヒ通り
という大通りをはさんで立っており、その通りに沿ってしばらく歩いていくと、緑の芝生が
目に鮮やかな二つのロータりーに出た。ふと上を見ると標識が立っていて「ショル兄妹
広場」と書かれている。もしかして、と道路の向かい側のロータリーに行ってみると、そこ
の標識には「フーバー教授広場」とあった。特別にこれといった記念碑もない、普通の広
場なのだが、「白バラ」の学生運動に心から共鳴を覚えていた私には感慨胸に迫るものが
あった。
 「白バラ」--何と可憐で美しい名前であろうか。このグループはナチスの猛威が吹き
荒れる中、「白バラ通信」と題するパンフレットを配って勇敢な抵抗運動を行なった。はじ
めは数人の学生によるささやかな同盟だったが、次第に理解者を増し、大きなうねりとな
っていったのである。その中心者だったのがハンス・ショルとゾフィー・ショルの二人の
兄妹だった。
 彼等は自ら謄写機を使って「通信」を作成し、ミュンヘン大学をはじめ、市内の各家庭
にも広く配布した。その内容は、作成者が見つかったならば即死刑、といった大変勇気あ
るものであった。
 「ヒトラーの口より出る言葉は、ことごとく虚偽である。彼が平和を唱えるとき、考えて
いるのは戦争であり、彼が冒涜きわみなくも全能者のみ名を呼ぶとき、思っているのは
悪の力、堕罪の天使、サタンなのである」。
 抵抗運動に賛同した人の中には大学教授もいた。哲学の名講義で学生に最も人気の
あったといわれるクルト・フーバーは、「白バラ」の学生の集いでこう語った。
 「われわれの努めるべきことは、何百万という誠実なドイツ人の胸にくすぶっている抵抗
の火花をあおって、明るく強く燃え立たせることだ」
 多くの知識人や文化人がナチスに取り込まれていった中で、この勇気ある学生と教授の
行動は、ミュンヘン市民にとって少なからぬ驚きであった。もろ手をあげて感激する者も
いれば、腹を立てて拒絶する者もいた。協力を約する者もいれば、警察と一緒に目を光ら
せる者もいた。ショル兄妹はときどき出所不明の警告を受けることがあった。それでも彼
らは抵抗の手を休めなかった。「白バラ通信」は続けて三部出され、ミュンヘンだけでな
く、他の南ドイツの町にも広がっていったーー。
 広場にしばしたたずんだ後、私は大学校舎の周辺を散策した。まさにこの場所で、ショル
兄妹は勇気ある行動を展開していたのである。私の思いはいつしか五十年前に飛んでい
た。時は冬、凍てつく寒さの中で、夜と霧に紛れて必死にパンフレットを配るハンス。
「真実の声」を市民に伝えようと、息を凍らせながらビラを壁にはるゾフィー。共に助け合い、
共に励まし合いながら夜道を駆ける二人の姿が、私の目にほのかに浮んだ。
 一九四三年二月十八日ーーそれは二人の兄妹にとって「運命の日」だった。二人は朝早
く大学に向かい、トランクいっぱいに入っていたパンフレットを、玄関から廊下にかけて
ばらまいた。しかし不幸にも彼等の行動を目撃した者がいたのである。それは学校管理者
であった。彼は即座に校舎全体の扉を閉めて警察を呼び、二人を逮捕させた。急速な裁判
によって、兄妹を含む三人の学生はわずか四日後に処刑された。兄は二四歳、妹は二十
一歳であった。死を前に彼等は少しも恐れることなく、その毅然とした態度は、死刑執行
人をも圧倒させたという。数ヵ月後、フーバー教授を初め、主要メンバーが処刑された。
 兄妹が逮捕されたときに配っていた「最後のビラには次のような一節があった。
 「われわれの関心事は真正の学問と、純粋な良心の自由である!」
 これほど尊く、美しい響きがあろうか。彼等の魂の中では「学問」と「良心」が一致して
いたのである。これは驚くべきことである。というのは、当時、ドイツにおいても、また
ナチスと手を組んだ日本においても、大半の学者や芸術家は己の「学問」を守るために
(あるいはその理由のもとで己の命を守るために)戦争に協力し、権力に「良心」を売り
渡したからである。
 ショル兄妹の力強い「良心」は、彼等の父親に影響するところが大きいようである。彼
はつねづね子供たちにこう語っていたという。
 「物質的な安全だけでは、われわれを幸福にするにはけっして十分じゃない。われわれは
なんといっても人間だよ。各人が自由な意見、自分の信仰を持っている。こういうことに
まで手出しする政府は、人間に対する畏敬をこれっぽっちも持っていないのだ」
 「わしは、お前たちがまっすぐに自由に生き抜いてくれることだけを願っている。たとえ
困難であっても」
 ユダヤ人に対するナチスの迫害も、その本質は「ユダヤ教」に対する「国家主義」の
権力による迫害である。しかし一人の人間のアイデンティティというものは、結局のところ、
その人の思想や宗教に帰着するのである。それを権力によって弾圧しようというのは、
まさに「人間に対する畏敬をこれっぽっちも持っていない」人間のすることである。
日本の指導者はショル氏の言葉を重く受けとめるべきであろう。
 大学を散歩していたら、いつの間にか時計は夕刻を指していた。熱く脈打つ「精神の
自由」を胸にナチスと戦ったショル兄妹ーー。彼等の勇敢な姿を胸に思い描きながら、私は
ミュンヘン大学を後にした。向かい合わせに広がる二つの広場をしばしば振り返りながら。
青く澄んだ空に吹く風が、秋の気配をかすかに漂わせていた。


























 
by sarah-gem | 2006-05-29 18:24